2019-01-10
2019年(平成31年)も十日目になりましたので、ある程度は正月気分も抜けているでしょうか。テレビでは番組2,3時間の正月特集がまだ続いていますし、年明けの「福袋」をまだ売っている店があるようです。あなたのお正月、いかがでしたか。歳末・元旦にはやばやと年賀・niceをいただきました。ありがとうございました。

新年は別宅で
別宅とは: 昨年連れ合いの母親が逝去されて、遺産を相続したのですが、そのままではほとんどが相続税として納めることになるので、農場の管理棟の塗装をしたり、この中古住宅(美浜町内)を購入したわけです。期間が短くて、もっと近くの物件を見つけることができなかったようです。しかしながら、二重生活は年寄りには負担で、毎朝夕に車で本宅(道具などを置いてあります)に通うのが煩わしいです。

ところが、三が日に次女たち以外に来客がなくて、かなり後まで二人でお節料理を食事し続けました。私達は二人とも高齢者であるので、友人知人も同じような年代に上がり、なかなか外出がしづらくなっているようです。家族以外の来客がなかった正月は初めてでした。
イノシシ受難
亥の年すなわち猪の話題です。中部地方の方はご存じでしょうが、昨年12月までに岐阜県と愛知県北部(犬山市)で、豚コレラが民間養豚場や公立飼育場で発生し、合わせて8千頭が処分されました。そのコレラ菌が野生のイノシシに感染し、飼育場での捕殺を含めて80頭が野外死亡確認・処分されました。岐阜県には2万頭のイノシシがいると推定されていますが、年明けに感染が広がらないことを祈るばかりです。
農作業開始


北風が強い季節ですが、風が弱い日を予報で調べてました。4日午後も1匹だけ。10日午後はアイナメ2匹、カニはかかったけど、上げることができません。他にフグも。その日は出荷作業の日でもあり、お手伝いさんにもらわれていきました。
今年の賀状には、「終活」という言葉が目立ちました。60代後半から70代前半の人たちが私たちの知人なのですが、私のように農業自営とは違って、都市の例えばマンション生活では定年後には居場所・動く先が限られてしまうようです。また30代後半から40代の新規農業参入された人たちからは感謝の言葉をいただいて、微力ながら役に立てているかなと思いました。
こうして、私の正月が終わりましたが、次の農作業が待っています。
平穏だった老後の1年
2018年の大晦日も午後5時を回ってしまって、ようやく今年最後のブログ更新作業になりました。中旬から、キウイの剪定作業などを続けていて、31日午前中まで農作業でした。午後は釣りに出たのですが、予報が違って風が強く、釣り日和ではなくて、アイナメ1匹だけ。でも手ぶら(ボーズと言います)で帰って来なかったので、よかったです。
野鳥!
農作業はちょっとだけ


31日午前中は、1月分出荷の山芋20セット分を掘り出しました。あと30セット分は年明けです。
海 釣りと貨物船
こうして、1年が過ぎて行きました。70歳代の半ばです。気が付けば、孫の寛太郎くんがほとんど毎日私たちの部屋にやってきて、私のパソコンで童画を見るようになりました。2019年の賀状に、寛太郎君が大きく出ます。
上の画像でも説明しましたが、釣果は農場へのお手伝いさん5,6人など周りの人たちに差し上げています。この方たちの作業でとても収穫出荷作業が進んでいますし、大切な労力なので、私の感謝の気持ちです(でも時々餌代のカンパをいただきます)。とても寄与されていますし、長女の頑張りと合わせて、農場の毎週の作業が安定してコンスタントに出来てきたのは、とてもありがたいことです。このように農場内では、私はとても気持ちよく年の瀬を迎えることができました。この上なく平穏でした。
全国的には猛夏、豪雨、地滑りなど自然災害も多発しましたし、農場の周辺には太陽光発電のソーラーパネルが広がっていたり、隣町住宅街近くに風力発電が設置されたりしています。これらのことを念頭に置きつつ、新年を迎えることになります。
みなさま、1年間閲覧いただき、niceやコメントをいただき、ありがとうございました。翌年もよろしくお願いいたします。(2018年大晦日夜)